May 26, 2011

コンピュータの修理は、安くすることができます

企業や家庭で何気なく当たり前のように使用されているPCも他のマシンと同様に、いつかは故障。ある偉大な僧侶は、"形あるものは必ず部署はありません"と言ったという。故障をすると、メーカーの故障受付電話して修理費の大きさに驚愕している人は多い。たとえば、ハードディスクが壊れて新品と交換するには、4万〜5万円くらいかかるだろう。場合によっては、新しいPCを買って治そうとしても不思議ではない。しかし、救いの手です。インターネット上でコンピュータの修理をキーワードで検索してみるとよい。先にあげた金額よりはるかに安く修理できることが分かる。保証期間が過ぎたコンピュータの修理はメーカーではなく、これらの業者にお願いすれば良いだろう。
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第61回ベルリン映画祭が現地時間の19日に閉幕式を迎え、イラン映画の『別離、ナデールとシミン』が金熊賞、男優賞、女優賞を独占した。

ほかの受賞作品&授賞者ほか

本作は離婚に直面した家族の姿を通して、現代イラン社会の問題を描いたもの。イランといえば、今回の審査員のひとり、ジャファール・パナヒがイラン政府の拘束により参加できなくなったことが話題を呼んだが、映画祭側は最後まで彼の席をもうけて抗議を続けた。
 審査員大賞に選ばれたのは、ハンガリーの巨匠ベラ・タール監督の『トリノの馬』。哲学者ニーチェを狂わせたと言われる馬とその御者をモチーフに、モノクロの映像と効果的に用いられた音響が深い味わいを残し、国際批評家連盟賞も受賞した。

コーエン兄弟の『トゥルー・グリット』で華々しく開幕した今年のベルリンは、コンペに若手作家が目立った。ケビン・スペイシー主演で、金融業界の内幕を描いたJC・チャンドールの『マージン・コール』や、レイフ・ファインズ監督・主演でシェイクスピアを現代的に脚色した『コリオレイナス』は、ともに長編初監督作ながら見応えは十分。ただしスターの出演作であることが逆に不利となったのか、賞には該当しなかった。審査員長のイザベラ・ロッセリーニをはじめとする今年の審査員団は、インディペンデントな作品にエールを送る、ベルリンの伝統を継承してみせた。

アウト・オブ・コンペで話題を呼んだのは、2本の3Dドキュメンタリー。ヴィム・ヴェンダースが振付家ピナ・バウシュにオマージュを捧げた『ピナ』と、ヴェルナー・ヘルツォークがフランスの洞窟を訪れた『Cave of Forgotten Dreams』で、ともに3Dの特性を生かしたユニークな作品になっている。またオスカーの12部門にノミネートされた『英国王のスピーチ』も招待され、コリン・ファースとヘレナ・ボナム・カーターが顔を揃えて熱狂的な拍手で迎えられた。

今年はコンペに日本映画はなかったものの、堀北真希が深川栄洋監督と参加した『白夜行』など、計7本がパラレル・セクションに並んだほか、岩井俊二がアメリカで撮影をした『バンパイア』も出品された。そのなかで瀬々敬久の『ヘヴンズ ストーリー』が、国際批評家連盟賞と最優秀アジア映画賞をダブル受賞する快挙を果たした。

■おもな授賞作品

審査員大賞=「トリノの馬」(タル・べーラ監督)
監督賞=ウルリッヒ・ケーラー(スリーピング・シックネス)
芸術貢献賞・撮影=ボイチェク・スタローン(ザ・プライズ)
同・美術=バーバラ・エンリケス(同)
脚本賞=ジョシュア・マーストン、アンダミアン・ムラタイ(血の償い)
アルフレッド・バウアー賞=「我々でなければ誰が」(アンドレス・ファイエル監督)

文:佐藤久理子 写真:Kazuko Wakayama


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 演歌から俳優、リポーター、バラエティーの司会までこなすマルチタレントのはしり。人なつっこい笑顔が間口を広げた。ところが昨年から、クールにキメていた若いころの原点に返り、GS(グループサウンズ)調の曲を歌っている。

 「演歌の『人生半分』や『都忘れ』と同じく、中年男の応援歌であることは変わりないんですが、中途半端にやるよりイッちゃったほうがいいかと思ってね」

 グラサンにエレキ。1970年に解散したGSバンドと組んで“湯原昌幸&ザ・スウィング・ウエスト”の名で『Love comedy(ラブコメ)ららばい』をリリース。ロングセラーとなり、ライブでは確実な手応えがある。

 「僕らの世代は16、17歳のころにベンチャーズやビートルズが入ってきた。美空ひばりさんや東海林太郎さんを聴きながら、洋楽も合わさったミックスジュースを飲んで育った。ぜいたくな体験です。親や学校に不良と言われてもカッコよかったなぁ」

 歌手志望だった湯原少年は東京・銀座ACB(アシベ)の新人コンクールに合格した後、ボーカルレッスンを積んで、1964年に登竜門番組『ホイホイ・ミュージックスクール』(日本テレビ系)に出演。ちょうどロカビリーからGSにブームが移る過渡期だった。

 「所属事務所から突然、スウィング・ウエストとして出ろといわれてね。初めはロカビリーのバックバンドだったけど、やがてオリジナルでボーカルを務めるようになって『雨のバラード』で火がつきました。すでにパイオニアの『スパイダース』がいて、しょっちゅう“対バン”になった。追いつけ追い越せで、新しいものをつくりあげようとする努力がすべてステージに反映されたから楽しかったね」

 「ビートルズをまねてみたり、FEN(米軍向け音楽ラジオ)をいち早く聴いたり。オープンリールに録音して、耳から覚えた英語をどれだけ早くライブでできるかも勝負だった。舞台の袖からライバルがどんな演奏しているか偵察したりね。オックスのボーカルが失神するなら、『オレたちはタイコを破って壊すか』とか(笑)」

 飛ぶ鳥を落とす勢いのスパイダースはマチャアキ(堺正章)と(井上)順がユニークな司会を見せた。

 「僕は司会をやったことなかったけど、客に『イモ〜』とか言われながらも、呼び込みから鍛えられて、ギターも司会も独学で覚えた。でも、いま思うとGSブームって、あっという間。3年ぐらいだったかな。10年ぐらいやってた感覚がありますけど。良い時代に良い年齢でした。ハタチ前だもんね」

 当時は「ジャズ喫茶」、今は「クラブ」。雰囲気はやはり違うようだ。

 「書けないようなこともいっぱいありますよね(笑)。いま26歳の息子が音楽をやってるんで渋谷のエイジアってライブハウスに行ってきたけど、僕らが心配するほど今の子は荒れてない。やんちゃをしない。僕らの時代だったら、必ずステージと客席でケンカが起きたり殺伐としていたよ。今は“醒めた熱狂”ってのかな。ファンが音楽に集中する具合は同じなんだけどね」

 「息子に僕の曲を聞かせたら、『いいよね。演歌っぽいね』と。ちゃんとしたメロディーラインがあってマイナー調だからかな。作曲の羽場さんは(「雨にぬれても」などの作曲家)バート・バカラックに憧れた方で、僕は『舟歌と石狩挽歌を念頭に書いてください』とお願いしました。GS時代の曲って、いま聴くとみんな演歌チックなんですよ。真木ひでとなんて、モリシン(森進一)がGS歌っているようなもんだし。そのにおいを出したかった」

 メロディーよりも、お経のようなラップのようなリズムが主体の現代へ、おじさん世代の逆襲だ。

 「熱い思いを掘り起こしたい。不景気だから、なおのこと花火をあげたかった。GSをやると、時代を戻ったり、先回りしたりできるような気がするんです」(ペン・中本裕己 カメラ・寺河内美奈)

 ■ゆはら・まさゆき 1947年3月5日生まれ、63歳。茨城県牛久市出身。64年、「スウィング・ウエスト」入り。バンドのオリジナル曲だった『雨のバラード』は湯原のソロデビュー曲として120万枚突破の大ヒットを記録。タレント、荒木由美子とのおしどり夫婦ぶりは広く知られ、親の介護などを綴った共著『夫婦力』は話題を呼んだ。

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